昭和42年7月豪雨は、九州北部から関東地方にかけての広範囲に大雨を降らせ、全国で死者365名、建物の全半壊2,266棟、浸水家屋約30万棟を超える被害を出した。
この豪雨の引き金となった台風第7号くずれの温帯低気圧は、8日に沖縄付近で弱い熱帯低気圧に衰え、更に9日に五島列島付近で温帯低気圧になった。この頃、日本の南岸に停滞していた梅雨前線に、熱帯低気圧が運んできた高温多湿の気流が送り込まれ、また、北側からは寒冷な気流が送り込まれたため、前線が激しく活発化した。
更に、台風くずれの低気圧が前線上を猛スピードで山陽、近畿および中部地方と縦断、抜き打ち的に佐世保、伊万里、呉、神戸等に300mm以上の集中豪雨を降らせて、10日未明に関東地方から鹿島灘に抜けた。
神戸市では9日8時頃から断続的に雨が強まり、16時から18時までの2時間に127.3mmの強い雨が降り、更に20時から21時までの1時間に59mmの強い雨が降った。このため、夕方頃から夜にかけて六甲山系から市内に鉄砲水が発生し、所によっては50~100cmの濁流が渦を巻いて市街地を襲った。六甲山系の山沿いの宅地造成地では山崩れが相次いで起こり、家屋の流失、倒壊などで生き埋めによる犠牲者は100名にのぼった。